河口から大井町駅(2000年5月)

河口から大井町駅まで約30分。河口付近は旧東海道に隣接し、大正初期には船大工や船屋、宿、馬屋などがあったようだ。


今回は、河口から大井町駅までを散策してみた。





なお下の写真はクリックすると大きく表示される。

1. くせ~
  とりあえず電車で京浜急行の立会川まで行ってみた。改札を出ると何やら独特の匂いがする。周辺に住んでいる方には申し訳ないが、決していい香りではない。息を止めて河口に急ぐ。(良い子はまねしないように。)
大正初期、このあたりは海で潮干狩り(汐干狩)ができたらしい。
  海側から見た河口(写真中央)
       
2. 歓迎
  海側は結構きれいだ。よく見ると小魚がたくさんいる。しばらくボーッとしていると、でかい魚が空中にジャンプした。どうやら歓迎されているようだ。
  勝島運河
       
3. 新種の魚発見!?
  匂いにもすっかり慣れたところで散策開始。
いろいろなものがういている。写真にはないが、中には頭だけの魚が浮いていた。新種発見か!?
  上流から見た河口
       
4. まじですか?
  河口付近の看板?が目にとまる。そして数秒かたまる。まじですか?
  河口付近の看板
       
5. はまかわはし(濱川橋)
  このあたりの地名から「濱川橋」と名づけられたこの橋は、「涙橋」とも呼ばれている。この橋が架けられたのは、徳川氏が江戸に入った1600年頃らしい。この写真の橋は昭和9年12月(1934)に架け替えられたものだ。
  濱川橋から下流を見る 濱川橋から上流を見る  
       
6. 涙橋の由来    
  慶安4年(1651)に鈴ヶ森に刑場が設けられ、ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ぶようになりました。
~看板より~
  涙橋の由来    
       
7. べんてんはし(弁天橋)    
  明神様の弁天橋。この写真の橋は昭和6年8月に架け替えられたらしい。
  上流から見た弁天橋    
       
8. たちあいがわはし(立会川橋)  
  第一京浜に架るこの橋は大正13年8月に架けられたものある。立会川に架る橋の中で最も古いのではないだろうか?しかし残念な事に橋名のプレートが削り取られていた。返せ!このやろ。
大正初期、この橋の右側には「聖天様池」という池があったようだ。
こんな色の水でも、小魚がたくさんいた。(写真右の中央、穴付近。見えるかな?)
  上流から見た立会川橋 小魚発見  
       
9. ドンドン橋    
  大正初期の立会川橋は、丸木の一本橋で、名無しの橋であった。この橋を渡るとき、足音がドンドンと響くことから、「ドンドン橋」と言われるようになったという。満潮のときは、ドンドン橋まで潮が上がってきて、ハゼやせいごなどがぷかぷか浮いていた。聖天様池から土管で流れてくる出口には、タナゴや小鮒も棲んでいたらしい。ドンドン橋は大正13年に架け替えられた。
  ドンドン橋    
       
10. 森本水車の滝
  大正初期、立会川橋の少し上流左側に大きな欅があったらしい。そこには、「森本水車の滝」と呼ばれる人工の堰があり、道路際には水車小屋があった。この小屋のなかで水車を回し米を搗いていた。このあたりの南は一望の田園や畑で、鈴ヶ森や大森駅の汽車まで望見できたという。このころ大森駅を「大森ステン所(ステーション)」と呼んでいたらしい。
  森本水車の滝    
       
11. 川だねぇ
  見晴らし通りの少し手前で、立会川は右に折れる。ここから上流を見た景色は、当然のことかもしれないが、いかにも川らしい。しかし、上流にすすむにつれてこのような景色は見れなくなる。ここで写真を撮っていると中年の女性と娘らしい二人連れが「何かいるの?」と声をかけてきた。「いや、何も。」と答えると「なーんだ。」と言って去っていったが、このようなちょっとした会話の中にも下町らしさを感じられる。
  見晴らし通り手前    
       
12. さくらばし(桜橋)    
  見晴らし通りに架るこの橋は、現在では架け替えられているが、昔からある橋である。この橋を渡って少し行くとヘルマン坂がある。
  左が上流    
       
13. 月見橋まで    
  月見橋付近で突然水が少なくなる。現在の立会川は月見橋の下で地下に入る。(写真右の中央)
  桜橋付近の上流 地上のはじまり  
       
14. 秘密の入り口?    
  月見橋の下には、ゴムのようなカーテンで仕切られた立会川の出口がある。中はどうなっているのか?!この入り口を入って行けば碑文谷まで行けるのか?!
  月見橋の下    
       
15. 月見橋    
  現在の月見橋は全く橋らしさを感じない。現在の立会川は月見橋から上流にふたがされている。大正時代には月見橋の右側に大井町役場があった。写真右の二階建ての建物がそうである。当時の立会川は、この橋から折れて役場の前を流れていたが、改修されて現在のようになったという。この近くに堰があったので、このあたりを関ヶ原と言われるようになったらしい。写真右の川の上に見える建物は東芝である。電気工場(でんきこうば)と呼ばれていたらしい。
  現在の月見橋 大正8年の月見橋  
       
16. ここから立会道路    
  月見橋から上流は立会道路になる。このあたりの立会道路は車は通れず、とてもきれいに整備された歩道になっている。今では面影も無い関ヶ原橋と中立会川橋の間には、少女の銅像がある。当然何かを意味しているのだろうが、現時点では不明。
  立会道路    
       
17. 大井町駅へ    
  中立会川橋を過ぎると、立会道路は丸井の裏を通る。道路は線路沿いに右に曲がるが、立会川はそのままほぼ真っ直ぐに線路の下を通り、阪急百貨店の前に出る。
  中立会川橋から上流 大井町駅付近  
       

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